触れるは愛、
命が宿る瞬間。
愛するものに触れたくなるのは
嫌いなものに触りたくないのは
愛とは、触れること
だからだろう。
人間おとうとのチビ太君は
柴犬モモタロウ兄貴の
ふわふわしっぽが大好き💕
上から見るとこんな感じ。
とにかくチビ太君は寝相が悪い!
寝袋スーツを着せても、
朝になるとこの通り。
モモタロウだって下で寝てたのに、
いつの間にかおとうとのそばにピッタリ。
ふわふわ
ぬくぬく
ほくほく
そんなほっこりさせられる、
我が家の日常。
☆☆☆
ただいまレシピを見ない料理とともに、
冷蔵庫の保存食やストックをひっぱり出して
”ある中で創造力を働かせ、料理をする”
という挑戦をしています。
そしたら発見の連続!
あぁ、時間がないとかで
悪くなってしまったやつだ。
すまんのうと思いながら、
一緒にお掃除してフキフキ。
乾物とか豆類は
一時インド料理に凝った時期があって、
レンズ豆とかムング豆とか
わんさか出てきた。
あ、これとこれは合わせるととか、
意外な展開が生まれてきて
キッチンがパラダイス✨
でね。
なんでパラダイスって感じるのかというと
あたたかい空間なの。
だって
触れると、
物には愛が宿るから
おお!久しぶり☆
「ずっとほっといてゴメンね、
今から○○と合わせて△△みたいなのを
作ってみるから、宜しくね。」
そう語りかけながら、
命を吹き込んでいく。
そうするとあらあら不思議、
キラキラ輝き出す。
”物”だったのが
命あるもの
に変わる瞬間。
わたしが触れて吹き込んだ命を、
またわたしの中に入り、命の元となる。
そしてまた物や人を触り、
愛の循環が受け継がれていく。
わたしはかなり個性的で変態ポンコツな母です。
フガー、クソガキャーってなることもある。
怒りも悲しみもイライラも、
全部ぜんぶ子どもにも旦那にも見せる。
人って感情があるんだよって、
その日その日で違うんだよって見せる。
ちょっと前にチビ太君が保育園なじめなくて
やたらグゼる時があった。
ハァ、疲れるって時があった。
でも。
ふと、触れてみよう。
抱っこしたらいいとかの子育て論じゃなくて、
というか抱っこはわたしの体力が持たないので
わたしなりの”触れる”をしてみた。
ちゅう
べたべた
髪の毛くしゃっ
ほっぺたすべすべ
数日前からチビ太君は、
元気に登園しています。
わたしの感情も
ほっこりなってるのが分かる。
安心感って愛なんだね。
☆☆☆
だから今、
ぜんっぜんスーパーに行きません。
でも、何がどこにあるかすべて分かって、
どんな料理作ろうかな?って
ワクワクしてるの☆
なんとなく買って賞味期限切れ、
レシピに合わせて買って
余った食材をまた使うために
レシピを考えてそれに合わせてまた買う。
どんどんストックが増え、
何がどこにあるのか分からなくなる。
そうやって、
命とかけ離れていく。
断捨離やスピ系の手放し論あるあるの
”使わないものは捨てよう”
うん、もちろんそうです。
でもね
手放しで空間がスッキリ空いた分、
入ってくるというより
手放す時、
触れて愛を感じる
それによって
新たな愛のエネルギーに満ちる。
だから愛するものを慈しみ、
感謝しての手放しは愛の行為そのもの。
そういうことなのかもしれないって。
☆☆☆
実は過去、
好きで長年持ってたものを勢いで捨て、
将来の魔女部屋に飾りたかった〜っ!て
感じたことがあって。
触れた時に感じた愛を、
無視してしまったんだ。
捨てる時に一度、触れるはず。
それは食材以外にも、服でも物でも。
その時に何を感じるか?
命という愛を感じるか、
記憶を感じるか、
何も感じないか。
何も感じない物が多いってことは、
「ときめく」を基準に買ってないんだよ。
もし、今は使わなくなっても
記憶やあたたかさを感じるものであれば
わたしは取っておこうと思う。
私がアンティークが好きなのは、
特に時を刻む時計は
年代物じゃないと付けられないのは
触れた数だけ、愛を感じるから。
だから骨董品はコレクターが代々引継ぎ、
受け継がれている。
愛あるものは
いつまでも人の手に触れられて、
生き続けられる。
そんなものに囲まれて生きようと思う。
★ブルームRyko★